ちょっと世界散歩してくる

アル中<歩き中毒>の世界散歩日記

スイス【ベルニナ急行で飾る旅のフィナーレ】

5月19日

・移動日

 

グーテンモルゲン !(おはようございます!)

いよいよこれから旅の最終目的であるベルニナ急行に乗るためスイスに向かう。

ベルニナ急行とはクール(スイス)からティラノ(イタリア)間を走る列車で、途中4000メートル級のベルニナアルプスパリュ氷河山上湖などスイスを代表する絶景ルートをパノラマ車両で走るのものである。

実はこのベルニナ急行がヨーロッパ旅行のきっかけになっていただけに、楽しみもひとしおだ。

 

ミュンヘンからスイスのチューリッヒまでバスで向かう。

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このFlix Busはヨーロッパではかなり有名なバス会社で、ミュンヘンーチューリッヒ間がなんと約2,000円と格安なうえにWi-Fi、電源が完備されていてなかなか快適だった。

途中でフェリーに乗り込み、バスごと湖を渡るという荒技を見せてくれた。

バスに揺られること約4時間半、チューリッヒの街に入った。

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スイスはどことなく他のヨーロッパ諸国と違った趣を感じる。

ミニチュアのように整った街並みが美しい。

チューリッヒ中央駅に到着。

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ようこそ、チューリッヒへ!

あまり時間がなかったので、駅構内で食べ物を調達して電車で食べることにした。

それにしても物価が高い。

自販機でエビアンの一番ちっさいペットボトルが350円ぐらいで売られていて、マクドナルドのセットもだいたい1600円ぐらいした。

ちなみに大阪の西成の自販機では30円でジュースが買える。

 

クール行きのチケットを買い、列車に乗り込む。

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視界に入る景色の「アルプスの少女ハイジ」感がものすごい。

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この日は少し曇ってはいたものの、絵に描いたように美しい景色が広がっていた。

 

チューリッヒ駅から1時間半ほどしてクール駅に到着。

クールはローマ時代から続く歴史ある街で、スイス最古の街といわれている。

こじんまりしているが、とても静かで落ち着いた雰囲気の街だった。

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建物のデザインや配色が洗練されていてとてもオシャレだ。

空気がとても澄み切っていて深呼吸する度に体が浄化されていくのを感じる。

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ギャーーース!!

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オラにまかせろ!

みんな、オラに元気を分けてくれ!

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あともうちょっと元気が集まったら発射します!

この街はアートに関心が高いのか、街中にオブジェが展示されていた。

 

クールの街を散策しながら、ホテルに到着。

長い移動の1日がようやく終わった。

明日のアルプス越えに備えて早めに就寝する。

 

5月20日

朝を迎え、いよいよこの旅のフィナーレ!

ベルニナ急行に乗ってアルプスの山を越える!

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おはようございます!

アルプスの雪が朝日を受けて白く輝いている。

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おはようございます!

元気玉を叩くと重く、さすると軽くなったような気がした。

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クール駅に到着。

本当はここからベルニナ急行に乗れるのだが、最後の最後で予約をミスしてしまい、サンモリッツ駅で乗車することになった。

サンモリッツ駅まで朝の通勤客と一緒に電車に乗る。

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優雅すぎるスイスの通勤風景。

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日陰でさぼるヤギ。

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スイスフィルターにかければ、貨物列車までカッコいい。

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ジオラマのような集落だ。

ピンセットでヤギをつまんでジオラマを作りたい欲求にかられる。

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だんだんアルプスの山が近づいてきた。

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中世の雰囲気を色濃く残す小さな街サメーダンを通過し、サンモリッツ駅に到着。

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うーん、スイスの赤い車体はどうしてこうもカッコいいのだろうか。

自転車用の車両があるのはいかにもヨーロッパらしい。

アルプスの山を眺めながら列車を待ち、ついにベルニナ急行が到着!

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パノラマ車両から眺めるアルプスの山は大迫力だった。

f:id:tayutai0001:20180719163744j:plain1等車両の乗客はほとんどおらず貸切状態だったため、自由に席を移動して景色を楽しむことができた。

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こんなところにまで小屋がある。

どうやってここまで通うのだろうか?

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すべての光景が非日常的な出来事に思えて面白い。

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エビアンも故郷を懐かしんでいる。

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パリュ氷河の水は澄み切っていてターコイズブルーがとても綺麗だ。

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しんと静まりかえった雪山をベルニナ急行が山頂を目指してゆっくりと登っていく。

暖かいコーヒーを飲みながらアルプスの山々を眺めるのは贅沢な時間だ。

アルプグリュム駅で一時停車し、外の景色を楽しむことができた。

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外は思ったより寒くはなく、むしろ火照った頬をなでる冷気が心地良かった。

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このアルプグリュム駅標高2091メートルの断崖絶壁にある駅で、ここから眺める景色は最高だ。

www.youtube.com

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こんなテラスで食事をしたら贅沢すぎて口が腫れる。

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あれはのパリュ氷河の水が集まってできたパリュ湖だ。

もし許されるならば、エビアンのペットボトルに詰めて持って帰りたかった。

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U字谷とパリュ湖。

自然の雄大さと美しさに圧倒され、これは一生忘れられない景色になるだろう。

 

これからイタリアのティラノ駅に向かう。

下の急勾配になっているため車輪を軋ませながら列車は進む。

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ポスキアーヴォ湖

この辺りはハイキングコースになっていて、トレッキングを楽しむ人たちが多く見かけられた。f:id:tayutai0001:20180719194722j:plain

ベルニナ急行の見せ場であるブルージオのループ橋だ。

華麗なドリフトをきめながらティラノの街に滑り込む。

 

ティラノ駅に到着。

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わかりやすい!

箱根登山鉄道さんありがとうございます!

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ティラノ駅は意外にもこじんまりとした田舎の駅だった。

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駅の中に古い機関車が展示されていた。

昔はこれで山を越えていたのだろうか。

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ティラノ駅前広場。

あのアルプスを越えてきたのかと感慨深い気持ちで山を見上げる。

この駅からミラノ駅まで列車で向かい、ミラノのマルペンサ空港から日本に帰国する。

 

これでいよいよ約50日間にも渡る長いヨーロッパ旅行の終わりを迎える。

 

旅というものは面白いもので、旅慣れてくると「必要な物」の新陳代謝がよくなり無駄な荷物が少なくなっていく。

そして 重い荷物がどんどん軽くなり、反対に思い出がどんどん増えていく。

 

思い返せば、最初はヨーロッパに対して抱いていた「イメージ」「現実」とのギャップに戸惑うことの連続だった。

期待はずれでガッカリすることもあれば、予想外の感動もたくさんあった。

そしてだんだん「知識」だけに頼ることの不確かさを知り、頭だけでなく現実の体験を通して物事を知ることの確かさを実感した。

 

今やネットですぐに「知識」が得られる時代で、スマホさえあれば誰でも物知りになれる。

「知識の領域」の「広さ」だけではなくどれだけ「深く」物事を知っていて、しかもそれを「自分の言葉」で語れるかということが大事なのだと思う。

海外ではよく知識よりも「お前はどう思うんだ?」と意見を訊かれることが多かった。

その度に日頃どれだけ物事を「深く」知り、「自分の視点」を持てているだろうかと反省させられた。

知ってる世界に安住せず、旅人のように常に新鮮な見方で世の中を眺めること。

ありふれた日常でさえ「冒険の日々」に変えられる人が「本物の旅人」なのかも知れない。

ミラノのマルペンサ空港から日本に向かう飛行機の中でそんなことを考えていた。

 

そして日本に降り立ち、僕は「旅行者」から「日常の旅人」になった。

 

【読者の皆さんへ】

いつの間にか多くの読者の方に読んで頂き感謝の念に堪えません。

初めてのブログということで不慣れでお見苦しいところが多々あったかと思いますが、

暖かく見守って頂きましてありがとうございました!

この場を借りてお礼申し上げます。

 

今後はアメリカ編、インド編、トルコ編、国内編なども書いていきたいと思っています。

また読んで頂けると嬉しいです。

長々とお付き合い頂きありがとうございました!

これにてヨーロッパ編完結します!

ミュンヘン【時代をつくる技術と働く人たち】

5月16日

本日の予定

  • ドイツ博物館

長旅の疲れが少し出てきたので、今回は観光を控えてホテルでゆっくり過ごすことにした。

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アンティーク調の内装が落ち着く。

それにしても一人旅にはもったいないベッドの広さだ。

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炭酸なしのミネラルウォーターは珍しい

ヨーロッパは天然の炭酸泉が多いので炭酸水がよく飲まれているが、中でもドイツは炭酸水好きでミネラルウォーターの7、8割ぐらいを炭酸水が占めている。

そのためレストランに行っても「ノン、ガス」と言わない限りだいたい炭酸水が出てくる。

寿司屋に行った時も炭酸水を出され、さらに前菜のスープとして味噌汁が運ばれてきた時は思わず笑ってしまった。

 

ホテルで写真の整理旅程の調整などを一通り終えると、ちょうどおばちゃんのお掃除部隊が近づいてきたので、ドイツ博物館に向かうことにした。

ドイツ博物館は1903年に電気工学者であるオスカル・フォン・ミラーが提唱した博物館で、青少年にドイツの科学技術を引き継ぐことを目的として設立された当時としては珍しい体験型博物館だ。

青少年のためとは言え、敷地面積5万平方メートルの大規模な博物館で、農業、鉱業、航空工学、鉄道、機械、宇宙など50室以上の展示室1万7千点以上もの展示品目が並べられている。

なかでも音楽数学のフロアがあるところはドイツらしい。

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おじゃまします!

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船がまるごと展示されている。

ドイツの博物館はとにかくスケールが大きい。

 ベルリンのペルガモン博物館も遺跡をまるごと展示していたが、ここも負けてはいない。

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これはライト兄弟が初飛行に成功した飛行機だ。

ちなみにお笑い芸人のダウンタウンは昔「ライト兄弟」というコンビ名で活躍していたが、「青空てるお・はるお」と名乗っていたこともある。

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これはUボートと呼ばれる潜水艦だ。

第一次世界大戦から第二次世界大戦時に活躍した。

当時制海権はイギリス海軍が圧倒的に強かったため、ドイツ海軍は潜水艦をつくることで海上封鎖を図り、非武装の商船を集中的に攻撃して戦果を挙げた。

しかし大戦末期になると連合国側が一斉に反撃に出て「狩る立場から狩られる立場」になり、結果としてドイツ軍全部隊の中で最も死亡率が高い部隊となった。

あんまり調子に乗ってはいけないという教訓である。

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ここで高圧電流を流して【人工の雷】を作るデモンストレーションが行われていた。

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【放電実験】 

www.youtube.com

青白い電流が生き物のように動いている。

コンビニの入り口に設置すれば虫たちもビビるに違いない。

 

【人工の雷】

www.youtube.com

耳を塞いでいても炸裂音が鼓膜を突く。

ニューヨークの街中でこんな音を出せば、一瞬で特殊部隊に囲まれることだろう。

 

しかしドイツ博物館は広い。

ミスチルではないが、次の扉をノックしても終わりなき旅である。

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この機械の重厚感と武骨さが渋い。

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オシャレな工作機械だ。

これでレザーのエプロンをして仕事をすれば"KINFOLK"意識高い系職人と紹介されるに違いない。

 

ドイツ博物館の中に日本のコーナーがあった。

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昔の台所道具和紙をつくる道具などが展示されていた。

鉄材の展示物が多かっただけに、木材と障子のやわらかい光を見て気持ちが和んだ。

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ここでは実験装置を操作して様々な物理現象を体験することができる。

www.youtube.com

水滴が玉のようになってレール上をサーキットのように走り、最後は漏斗のようなところに円を描きながら落ちていくという装置だ。

単純な装置だが子供心をくすぐられて何度見ても飽きず、ドイツ人の子供たちに紛れてしばらくの間眺めていた。

 

子供の頃近くにこんな博物館があったら、一つ一つ夢中になって見入っていただろう。

そして科学をより身近なものに感じ、働く人たちをカッコいいと思っていたに違いない。

久しぶりに子供のようにワクワクする体験ができて楽しかった。

 

ホテルに帰るとお掃除部隊のおばちゃんたちが部屋を綺麗に片付けてくれていた。

皆さんのおかげで今日も生きてます!

いつもありがとうございます!

 

 

次はいよいよ最終目的地であるスイスに向かう!

ウィーン【1Q18 ハプスブルク家の金字塔】

5月14日

 

本日の予定

  • 美術史美術館
  • ベルヴェデーレ宮殿
  • レオポルト美術館

 

プラハ本駅から列車でぶっ飛ばしてウィーン中央駅に到着。

ウィーン中央駅は伝統的な建築の駅と思いきや、近代的で巨大な都市型の駅だった。

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地下鉄もきれい!

色を3色に抑えるのはオシャレの基本だ。

 

Museum Squarier駅で下車して、美術史美術館に向かう。

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ハプスブルク家お膝元の美術館だけあってどことなく威厳を感じる。

あの銅像の頂点に君臨しているのがマリア・テレジアだ。

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ゴゴゴゴゴゴ……

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ゴゴゴゴゴゴ……

入る前から普通の美術館とは違う雰囲気をひしひしと感じる。

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開門!

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宮殿のように非常に豪奢な内装だ。

ハプスブルク家の威光にこれでもかというぐらい圧倒される。

カフェもとても豪華で「世界で最も美しいカフェ」と言われている。

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もしここにコンビニがあれば「世界で最も美しいコンビニ」と言われるに違いない。

あらゆるものが豪華過ぎて美術館にいることを忘れてしまいそうだ。

 

まずは絵画から鑑賞する。

f:id:tayutai0001:20180714152312j:plain壁一面に絵画が展示されている。

随所に座り心地の良いソファが配置されているため、ゆっくりと絵画を鑑賞することができる。

 

美術史美術館で展示されている絵画はフェルメール、ルーベンス、カラヴァッジョ、ベラスケスなど15世紀〜18世紀頃の作品が展示されている。

中でもブリューゲルのコレクションは最大規模で「バベルの塔」もここで鑑賞することができる。

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絵画も十分見ごたえがあるが、調度品のコレクションも同じぐらい素晴らしかった。

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f:id:tayutai0001:20180714163019j:plainこの大皿をアップで見ると作り込みの細かさに驚嘆する。

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黄金の食器棚。

脚部の像が楽しげにダンスをしているのが可愛らしい。

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当時非常に貴重だったガラスの作品。

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幌の絵画まで手を抜かない徹底ぶりには驚く。

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チェッリーニの「サリエラ」

これはなんと食卓用の塩入れになっている

ハイテク過ぎてどうやって塩を振るのかも、どこから塩を詰め替えるのかも全く見当がつかない。

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角などの天然の素材を使った作品も多く展示されていた。

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白く輝く部分をよく見ると貝殻が埋め込まれている。

ウィーンには海がないため貝やサンゴは貴重品として扱われていた。

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貝殻は壊れやすいため製作には細心の注意を要する。

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この壺には無数のガチャピンが浮き上がっている。

 

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こんな指輪で殴られたらむしろ自慢するに違いない。

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象牙のコレクションも素晴らしい。

フラクタル幾何学的な装飾が緻密で無心になって見入ってしまう。

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これは「プロセルピナの略奪」だ。

「プロセルピナの略奪」はローマのボルゲーゼ美術館にあるベルニーニの作品も有名だが、これを象牙で作るとは驚きだ。

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よし、今や逃げたれ!

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誰かつかまえてーーー!!

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ギャース!!

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びっくりするがな…ズルッ

 

美術史美術館は他にも古代エジプトコレクション古代ギリシャ・ローマコレクションコインコレクションがあり全部じっくり見るだけでも3、4時間はかかるだろう。

ハイレベルなコレクションにあらためてハプスブルク家の底力を見せつけられた思いがした。

 

次にベルヴェデーレ宮殿に向かう。

ベルヴェデーレ宮殿は帝国軍総司令官オイゲン公「夏の離宮」だが、敷地内に庭園や動物園などがある広大な別荘だ。

宮殿は上宮(迎賓館)下宮(住居)があり、現在はいずれも美術館になっているがクリムトなどの有名作品は上宮に展示されている。

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ただいま!

正門の脇から入る。

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この日は風が強かったので波立っているが、穏やかな日は鏡面のように宮殿がきれいに映り込むという。

上宮に入る。

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帝国軍総司令官とはいえ、一代でこれほどまでの宮殿を建てるというのはスゴい。

宮殿内は写真撮影できる場所が限られていて、クリムトの「接吻」も撮影禁止だった。

「接吻」の写真が撮れなくて残念だったが、180×180cmの大きなキャンパスいっぱいに広がる煌びやかな色彩は「絵画の宝石」と言われるにふさわしい輝きを放っていた。

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宮殿の窓を覗くと庭園が眼下に広がっていた。

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緑の絵筆で描いたような美しい庭園だ。

遠くに下宮と一番背の高いシュテファン寺院が見える。

ベルヴェデーレとは「美しい眺め」という意味だが、その名の通りここからウィーン市街を一望することができる。

 

この美術館で最も強烈なインパクトを受けた彫刻がある。

僕はここで初めてメッサーシュミットという彫刻家を知ったのだが、とにかく彼の作品を見て度肝を抜かれた。

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こんなん絶対笑ろてまうやん。

これで白目むいてたら確信犯やで。

ネットでメッサーシュミットと調べると変顔の作品がゴロゴロ出てきた。

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んならぁあーーーー!!

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ひゅぅぅーーーーーーー…

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んんん〜〜〜〜〜〜…

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パッ!

彼はどこまで本気なのかわからないが、強烈なインパクトがあるのは確かだ。

なぜメッサーシュミットが有名にならないのか不思議なぐらいだ。

 

次にレオポルト美術館に向かう。

レオポルト美術館は近代美術館が集まるミュージアム・クオーター(MQ)という広場の中で最も人気の美術館で、おもにクリムトエゴン・シーレの作品が展示されている。

 

まずはクリムトの絵画から鑑賞する。

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彼の絵にはどこか官能的で妖艶な魅力が漂っている。

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これは代表作のひとつである「死と生」だ。

老若男女が幸福に包まれてまどろんでいる様子を死神が見つめている。

僕はこの絵の魅力に引き込まれ、しばらく見入ってしまった。

 

「生」と「死」は分離されるものではなく表裏一体であり、メビウスの輪のように同一の道を歩んでいるに過ぎず、生まれた瞬間から死に向かって歩いているのだということなのだろうか。

あるいは、幸福な瞬間は永遠に続くように感じるが、同時にそれは頂点を暗示しそれを通過した瞬間から凋落が始まることを「メメント・モリ(死を忘れるな)」という含意を込めて警告しているのだろうか。

いろいろ考えさせられる絵だ。

 

次にエゴン・シーレを鑑賞する。

エゴン・シーレは28歳で夭折した早熟の天才で、彼はクリムトに師事していた。

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この顔の角度からわかるように彼はかなりのナルシストでクリムトとは対照的に自画像が多い。

彼の絵はとても退廃的反社会的なものが多いが、オーストリア・ハンガリー帝国の衰退期における当時の空気を反映しているように思う。

既存の価値観が崩れていく混沌とした時代の中で、彼は「自画像」を描くことで自分の内面を掘り起こし、新しい時代の答えを見つけ出そうとしていたのかも知れない。

 

奇しくもクリムトエゴン・シーレがこの世を去った1918年という年に、約650年間に渡って中欧を支配していたハプスブルク家の帝国であるオーストリア・ハンガリー帝国も崩壊した。

ろうそくの炎は消える瞬間に最も激しく燃えるように、この2人の存在はひとつの時代を象徴しているように思う。

 

ハプスブルク家なきあと「扇の要」を失った中欧諸国はバラバラに四散し混迷を極めた。

ウィーンという街はハプスブルク家の栄光を讃えるだけでなく、多民族国家の成功モデルのひとつとしても今後も象徴的な意味を持ち続けるだろう。

今年はウィーンの歴史の節目である1918年からちょうど100年目を迎えるが、今もなおその金字塔の輝きは失われてはいない。

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プラハ【美しさの秘訣】後編

5月12日

 

本日の予定

  • 聖ヴィート大聖堂
  • 聖イジー教会
  • 黄金小路
  • ストラホフ修道院

 

【前回の続き】

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プラハの一休はカレル橋を無事に渡りきった。

ここから市街に入る。

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とてもカラフルでメルヘンチックな街並みだ。

都市特有のほこりっぽくてゴミゴミした感じがなく、時間がゆっくりと流れていた。

 

プラハの地下鉄はかなり深いと聞いていたので、さっそく行ってみることにした。

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深すぎる…。

プラハで一番深い駅はNamesti Miru駅でエスカレーターが全長100Mほどあり、降りるまでに2分半ほどかかるという。

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レゴみたい!

こんなにオシャレな地下鉄は初めてだ。

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「青い空」と「白い壁」がまるで地中海の街のようでとても爽やかだった。

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疲れを吹き飛ばすような素晴らしい景色だ。

日が差してきたので、色彩がより一層映える。

 

石畳の長い坂道をひたすら登り、広場に出ると巨大な聖ヴィート大聖堂が現れた。

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想像していた以上にかなり大きい。

近づけば近づくほど、その大きさに圧倒された。

教会に入る。

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チェコを代表する芸術家ミュシャによるステンドグラスがとても印象的だった。

ステンドグラスは見る季節や時間帯によって色彩が微妙に変化し、いわば自然光が描く絵画のようだ。

光の波長が織りなす光のオーケストラをしばらくの間鑑賞した。

デジタル信号では表現できない自然の奥行きと柔らかさを感じた。

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ステンドグラスだけでなく、彫刻も素晴らしい。

とても繊細に作られていて、まるで石で編まれたレースのようだった。

 

次に聖イジー教会に向かう。

聖イジー教会は920年に作られたプラハ最古の教会といわれる由緒ある教会だ。

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聖ヴィトー大聖堂を見た後では少しこじんまりした印象を受けるが、かえってこれぐらいの方が落ち着く。

しかも僕一人しかいなかったのでゆっくり鑑賞することができた。

 

次に黄金小路に向かう。

皇帝ルドルフ2世がこの小路に金細工師を住まわせたことから、黄金小路と呼ばれるようになったといわれている。

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金細工師が移り住む前は召使の集落だったため、とてもこじんまりした家が建ち並んでいる。

可愛らしい土産物店住人の生活を再現した展示室が並んでいた。

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ものすごい量のフィルムコレクションだ。

この住人はNetflixの存在を知ったら卒倒したに違いない。 

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N22と書かれているブルーの家はかつてカフカが小説を執筆していた家だ。

カフカは旧市街の喧騒から逃れてこの場所で創作活動に励んでいたといわれている。

そして実は僕が泊まっているホテルの隣の建物が、その彼の生家なのである。

僕はカフカが好きなので、特別な気持ちでこの小さなアトリエを見学した。

 

黄金小路を出て、プラハ城周辺を散策する。

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プラハの街並みはどの角度から見ても絵になる。

プラハ城の主はこの街を見下ろして何を思っていたのだろうか。

 

次に「世界一美しい図書館」があるというストラホフ修道院に向かって歩き出した。

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観光客用なのか、たまにこういう珍しい車が走っていて面白い。

この辺りはペトシーンの丘といわれる丘陵地なので坂が一段と厳しくなる。 

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あともうちょっとや!

プラハの一休に一休みなどない!

一休入魂だ!

 

気合を入れながら葡萄畑の丘を登りきり、ようやくストラホフ修道院にたどり着いた。 

受付のおばちゃんから受け取ったチケットと写真許可シールを握りしめて入館する。 

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ここは「哲学の間」といわれる部屋だ。

哲学、天文学、数学、歴史などの本が並んでいる。

こんな部屋で本を読んだら最高やろうなあ…。

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ここは「神学の間」だ。

ここには様々な言語で書かれた聖書が並んでいる。

「哲学の間」とは対照的に全体的に明るい雰囲気だ。

 

ただ残念なことに図書館は、ロープが張られていて中に入れなかった。

そのため図書館自体はあっという間に見終わってしまうのだが、廊下にはドードー鳥の剥製とか極太の鯨のヒゲといった珍品の数々が展示されていて、これがなかなか面白かった。

 

修道院を出て、近くのレストランでようやく休憩をとる。

ペトシーンの丘からの眺めが料理に彩りを添え、さらに空腹というスパイスが食欲を引き立たせて至福の時間を過ごすことができた。

 

腹ごしらえを終え、来た道を引き返して旧市街広場に向かった。

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プラハは街全体が美術館のように美しく散歩していて楽しい。

 

旧市街広場に到着。

早朝とは打って変わって日中はとても賑やかだった。

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リアルディズニーランドや!

この辺りにはたくさんの屋台が出店していて美味しそうな匂いが充満していた。

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とりわけ豚肉を炭火で炙る香ばしい匂いに誘惑され、プラハハムを買ってみた。

テキ屋の兄ちゃんが看板に書いてある金額より高く請求してきたので、「全然値段ちゃうやんけ。」と文句を言うと、「あれは100gの値段やで。ケケケケケ…」と反論してきた。

要するに量り売りというやつだ。

「プラハのテキ屋にしてやられた」とちょっと立腹しながらプラハハムを食べるとビックリするぐらい美味しかった。

 

ハムと言っても大きな肉の塊なのだが噛むとものすごくジューシーで柔らかく、脂身までとろけそうに美味しいのだ。

死ぬまでにもう一回プラハハム食べたいなあ。

 

プラハという街は絵本の世界のように美しい街だった。

この美しさはメッキのように被せたものではなく、時代の荒波に揉まれ磨かれて内側から輝きを増してきたもののように思う。

 

あれからミハイルくんは就職できたのだろうか。

彼もまたこの街の宝石として輝き続けて欲しいと思った。

結局のところ、その街が美しいのは、美しい人がいるからだと思う。

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プラハ【一休、二休がなくて、サンキュー】前編

5月12日

 

本日の予定

  • 天文時計
  • カレル橋

 

クラクフ中央駅からプラハ本駅まで夜行列車で向う。

本当は個室にしたかったのだが、予約が取れず2人部屋を予約した。

 

列車が到着し、部屋に入ると誰もいなかった。

「おっしゃ、これ事実上個室ちゃうか。うししししししししししし…。」

と思っていると、扉が開いて一人の青年が入ってきた。

ミハイルというイタリアのトリノ出身の青年で、これからプラハに住んでいる彼女に会いに行くのだと言う。

国境を越えた遠距離恋愛とはなんてロマンチックだろう。

 

彼はIT系の仕事をしていて、以前はサンフランシスコに住んでいたという。

旅行が好きで世界各国を旅し、ヨーロッパはポルトガル以外すべて回ったと語っていた。

日本の漫画にも詳しく、子どもの頃テレビで「北斗の拳」や「キャプテン翼」、「釣りキチ三平」などをよく観ていたという。

釣りキチ三平って何や…。

二人の話は尽きることなく、列車はプラハに向けて星空の下を走り抜けていった。

 

翌朝明るくなった窓の外に目をやると、看板の文字がチェコ語に変わっていた。

いつの間にか国境を越えていたようだ。

 

彼はすでに起きていてスーツに着替えていた。

彼女が住んでいるプラハに移り住むために、今日会社の面接を受けるのだという。

「がんばるんやで!」

「やりまっせ!」

と励まし合いながら、プラハ本駅に到着した。

 

「よし坊のホテルはどこ?まだ時間あるから道案内するで。」

と言ってくれたので、一緒に行くことにした。

道すがらチーズの美味しいお店やおすすめのお土産屋さんなどを紹介してくれた。

ホテルに到着し、別れの時が訪れた。

 

「彼女と幸せになりや!」

「ありがとう!よし坊も良い旅を!」

 

「人生は旅」というのなら、この二人が交わした言葉は同じことを言っている。

お互いの「人生=旅」を祝福する言葉だ

 

日本でのありふれた日常も「旅」と思うなら、新鮮な気持ちで毎日の生活を送れるような気がする。

見慣れた景色も心の持ち方次第でいつでも「旅人」になれるのだ。

 

旧市街広場に朝日が昇る。

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雨上がりのため、しずくが朝日に反射して街全体が輝いていた。

 

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これは15世紀に作られた天文時計だ。

朝9時から夜9時まで一時間ごとに演奏とともに人形が動くのだが、まだ早朝なので

この時は静かに時間を刻んでいた。

ホテルに荷物を預けてカレル橋に向かった。

 

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この旧市街橋塔をくぐったらいよいよカレル橋だ。

 

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早朝なので大道芸人などはいないが、昼になるととても賑やかな雰囲気になる。

 広すぎて一休さんでなくても真ん中を歩かざるを得ない。

 

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橋からの景色も格別だ。

こんなところで毎朝散歩したら最高だろうなあ…。

 

カレル橋は若干27歳の設計士ペトル・パルレーシェが手がけ、1402年に完成して以来プラハの歴史を支えてきた。

 

かつてプラハは神聖ローマ帝国の首都として栄えていた。

しかし14世紀半ばを境に次第に凋落をはじめ、16世紀からオーストリアのハプスブルク家の支配下におさめられた。

第一次世界大戦後オーストリアの敗戦とともに一時国家主権を取り戻したのも束の間、今度はナチスドイツの占領下に置かれた。

そして第二次世界大戦後ナチスドイツの敗退のあとソヴィエト連邦の支配下におさめられた。

まさに一難去ってまた一難である。

もしこれがシミュレーションゲームだったら僕は確実にリセットボタンを押している。

 

しかし1968年から「プラハの春」といわれる「スターリン型」政治体制の脱却を進める運動が開始され、1989年の「ビロード革命」によってついに共産党政権が崩壊した。

 

この瞬間、自由を求める民衆の手によって重厚な「鉄のカーテン」が開かれ、ようやくプラハに「春」が訪れたのである。

 

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この有名な聖ヤン・ネポムツキーも激動のプラハを見守り続けていた。

この像の台座には2つのレリーフがあり、それに触れると幸福になると言われている。

 

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僕も指紋がなくなるぐらい触ってきた。

 

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カレル橋には30体の聖人像が並んでいて、美術館の回廊のように美しい橋だった。

一休さんもプラハに生まれていれば橋だけで100話ぐらい逸話が生まれていたに違いない。

激動の時代に翻弄されながらもこの美しい街並みがきれいに残っていたのは、敵をも魅了する美しさがあればこそと言えるのかも知れない。

 

これからプラハの街を散策するのが楽しみだ。

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クラクフ【アウシュビッツ強制収容所】

5月11日

本日の予定

  • アウシュビッツ強制収容所

 

ついにこの日がやってきた。

僕は映画「シンドラーのリスト」ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」などの作品に感動し、いつかアウシュビッツ強制収容所に行ってみたいと思っていた。

本当に来れるとは思っていなかっただけに、感動もひとしおだ。

 

アウシュビッツ強制収容所とは、ナチスドイツが行った人種抑圧政策により史上最大規模のホロコースト(大虐殺)が実施された収容所である。

最初はポーランドの政治犯を対象としていたが、後にユダヤ人、ロマ(ジプシー)などが加わり、最終的にはヨーロッパ中から130万人が連れて来られた。

その内の90%がユダヤ人と言われている。

 

アウシュビッツ強制収容所まではクラクフ中央駅からバスが走っていて、僕はそれに乗って収容所に向かった。

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奥に進むにつれてどんどん民家が少なくなっていく。

人影のない牧場と畑ばかりが延々と続く平野を眺めていると、このエリアに強制収容所を設置した意味がわかるような気がした。

 

約1時間半ほどして強制収容所に到着。

年間200万人以上来場しているとのことで、この日も大勢の人が訪れていた。

アウシュビッツ強制収容所は3つの収容所の総称で、ここでは第1収容所第2収容所(ビルケナウ)が見学できる。

 

まずは第1収容所から見学する。

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これが有名な「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と書かれた門だ。

当時この門を再びくぐって出られた人は10人に1人もいなかったといわれている

 

写真では見えにくいが"B"の文字がひっくり返っていて、これは溶接にたずさわった被収容者の反抗の意思表示といわれている。

 

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この有刺鉄線は高圧電流が流れていて、これにわざと触れて命を絶つ人もいたという。

 

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被収容者棟は28棟あり、一部改修しているが、ほぼ当時のままの姿だという。

現在これらは展示室になっていて被収容者のカバン、靴、メガネなどが山積みになって展示されていた。

うず高く積まれた髪の毛のブースは撮影禁止だったが、この部屋だけは特に異様な雰囲気が漂っていた。

髪の毛で作られた毛布は衝撃的だった。

 

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これは「チクロンB」と呼ばれる毒ガス(正確には殺虫剤)の空き缶だ。

これ1缶で150人を殺すことができたという。

 

生存者の一人であるシュロモ・ヴェネツィアの本によると、ガス室の死体処理作業は被収容者が行っていたらしい。

ガス処理後の室内は文字通り死体の山が築かれていて、

女性や老人、子供など力の弱い者は下層男性は中層若くて体力のある男性は上層といったように、新鮮な空気を求めて上へ上へと進んだ結果、人間ピラミッドができあがっていたという。

 

そして死体をこの焼却炉で燃やしていた。

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なんとも言えない異様な雰囲気が漂っていた。

1日300体以上焼却していたという。

外は晴れているのにここだけ薄暗くジメジメしていて、あまり長居したくない雰囲気だった。

 

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見せしめのための集団絞首台だ。

一度に10名以上が処刑されていた。

 

次に向かったのは「死の壁」といわれる処刑場だ。

主に抵抗組織のメンバーがここで射殺された。

 

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処刑現場を見せないように、木の板で目隠しされていた。

 

次にビルケナウ(第2収容所)に向かう。

ビルケナウまでは約3km離れているので、バスで向かった。

 

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被収容者はヨーロッパ各地からこの列車に乗ってやってきた。

窓もなく、トイレもない極めて不衛生な状態で運ばれてきたため、到着するまでにすでに亡くなっている人たちも多かった。

 

到着後、医師による選別が行われ「労働者」「人体実験の検体」「価値なし」のグループに振り分けられた。

そして75%の人たちが「価値なし」のグループに選別され、シャワー室と称した「ガス室」に連れて行かれた。

 

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ビルケナウのガス室は証拠隠滅のためにドイツ軍によって徹底的に破壊されていた。

 

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この辺りはもともと軍馬の調教場だったため広大な平野が広がり、当時は300棟ものバラックが建ち並んでいたが、現在残っているのは67棟

 

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このバラックは馬小屋を改装したもので基礎工事はされておらず、床も土のままだった。

この辺りの夏場は37℃、冬場はマイナス20℃にもなるため非常に過酷な環境だったことは想像に難くない

この狭い仕切りの中に2、3人で寝かされていたため、感染症等はすぐに蔓延した。

そのため過酷な労働と相まって被収容者は平均2〜3ヶ月しか生きられなかったという。

 

選別によって選ばれた「労働者」は死体処理収容所の維持管理・拡張工事などを行い、体力がなくなれば彼らも死体として処理された。

これはまるでシステマティックに「死」を生産する工場のようだ。

 

この日は天気が良くて大勢の人がいるにも関わらず静寂な雰囲気に包まれ、唯一鳥のさえずりだけが「悲劇が起こる前の記憶」をとどめていた。

 

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「過去」に焦点を当てた映画や本だけでは、おそらくアウシュビッツは僕の中で悲劇の場所で終わっていただろう。

このようにのどかな「今」のアウシュビッツを知らずに終わっていたに違いない。

 

歴史を「過去」のものとして対象化・結晶化するのではなく、「今」の中にすべて包摂されたものとして捉えると「過去」が錠剤のように溶け出し、自然な形で新たな歴史認識が生まれるように思う。

 

人間がどんな悲劇や喜劇を繰り返してきても、そのかたわらで鳥はいつも変わらずさえずり続いてきたのだ。

 

「国破れて山河あり」という言葉の意味を改めて深く噛みしめた。

ワルシャワ【おばちゃんの強さの秘密】

5月8日

 

本日の予定

  • ワルシャワ歴史地区
  • 聖アンナ教会
  • ワルシャワ王宮

ジェイン・ドーブリ!(おはようございます!)

ベルリンからワルシャワまで列車に揺られること約6時間、ワルシャワ中央駅に到着。

ポーランドではユーロは使えないので、ATMでポーランドの通貨ズウォティを下ろして街に繰り出した。

ワルシャワは旧共産圏ということでちょっと怖いイメージがあったが、意外や意外ビルが立ち並ぶ近代的な都市だった。

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あのくねくねしたガラスの屋根の建物は通称「バブルモール」と呼ばれるショッピングモールで、マクドナルドもスターバックスもあり日本と大して変わらなかった。

大きな違いは価格の安さ。

ケンタッキーのツイスターセットが約270円で、スーパーのパンも安いのは10円前後で買えたりとめちゃくちゃ安い!

さらに移民も少なく治安良好で、街がとても清潔だった。

 

ただ噂には聞いていたが、おばちゃんがめちゃくちゃ怖かった。

例えて言えば、大阪のおばちゃんは平手でピシャリと叩くのに対して、ワルシャワのおばちゃんはグーで殴ってくる感じなのだ。

駅の総合案内所でおばちゃんに質問して"I don't know!"と返された瞬間、僕のハートは「バブルモール」の屋根みたいに波打った。

 

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まるで僕の気持ちを表しているかのような作品だ。

噂通り旧共産圏の国のおばちゃんはなかなか手強い。
気持ちを切り替えてアル中(歩き中毒)を開始する。

 

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テクテク

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テクテク

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テクテク

 

右手に見える建物がワルシャワ王宮だ。

街並みに溶け込んでいてどこか可愛らしい。

 

このあたりは第二次世界大戦の時にドイツ軍の爆撃によって徹底的に破壊された悲しい歴史がある。

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これを戦後ポーランドの人々の懸命の努力によって「煉瓦のヒビ割れ一つに至るまで」忠実に再現し、ワルシャワ歴史地区として蘇った。

 

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宝石のように美しい街を見ると、ポーランド人がどれほどこの国を愛しているかがよくわかる。

王宮広場からほど近い聖アンナ教会に向かう。

 

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外見は地味だが、中身はものすごく豪華な教会だった。

ワルシャワの教会といえばショパンの心臓が納められている聖十字架教会が有名だが、聖アンナ教会も見逃せないほど素晴らしい教会だ。

5月2日から10月15日(日曜祝日は除く)の期間毎日午後12時からの40分間、パイプオルガンの演奏をしているとのこと。

 

教会を出てしばらく歩くとバルバカンにたどり着いた。

バルバカンとはのことで、ポーランドにはバルバカンはワルシャワクラクフの2箇所に存在している。

中でもこのバルバカンは最大規模を誇る。

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視点が変わるたびに景色がガラリと変化するので散策していて楽しい。

見晴らしのいい高台に登る。

 

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まるで絵本の1ページみたいだ。

この日は天気が良くて鳥のさえずりが心地よく、とても牧歌的な空気が流れていた。

素晴らしい景色を眺めながらパニーニを食べて腹ごしらえし、再び王宮広場に戻ってワルシャワ王宮に向かった。

 

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おいでやす

 

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想像以上にきらびやかで美しい調度品の数々にため息がもれる。

 

この美しい王宮も例外なく先の大戦で徹底的に破壊されている。

しかしポーランドの人々は、

「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」という信念のもと、「失われたものの復興は未来への責任」として見事に復活させた。

 

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王座の背後にドット柄のように描かれているのはポーランドの国章である白鷲だ。

ポーランドの国旗白と赤の2色で構成され、白は共和国の尊厳、赤は自由を表している。

「赤」と「白鷲」

それはまるで灰の中から蘇り、燃え盛る炎を背に飛び立つ「不死鳥」のようだった。

 

日本も戦後の焼け野原から復興した国だが、果たしてポーランド人の郷土を愛する「心」を僕も同じぐらい持っているのだろうかと考えさせられた。

時代に翻弄されながらもポーランド人の「真」の心によって「新」の街を作り上げ、国をアップデートしていく姿勢にとても感銘を受けた。

 

次回はアウシュヴィッツ強制収容所のあるクラクフに向かう。